伊豆長岡温泉といえば、今では数少ない芸者文化が残る街。当時は伊豆長岡芸妓学校があり、芸者衆は400人、先生は10人以上も在籍したとされています。現在は芸者衆は10人まで減少。まめ六さんは、小さい頃から日本舞踊を習っており、ある時父親に連れられて見た「あやめ座」の踊りに魅了され、芸者の道に入ることを決意しました。現在は、伊豆長岡で最年少の芸者として日々芸事のお稽古に励んでいます。本記事では、まめ六さんに芸者になった経緯や伊豆長岡の芸者文化に駆ける想いについてお話を伺いました。

まめ六さん
長岡には最盛期400人の芸者さんがおり、京都と長岡にだけ芸妓学校があったほど由緒ある伝統。現在は10人まで減ってしまい、最年長は94歳、まめ六さんが23歳で最年少。長岡の隣の市出身で、長岡に芸者さんがいることを知らなかった。日本の伝統文化を次世代へつないでいくために、脱サラして芸者の道へ。東京オリンピックの聖火ランナーにも選ばれた。

芸者衆の踊りに魅了され、置屋の門を叩く

ーーまず、過去の経歴について教えてください。

まめ六:地元の静岡県沼津の工業高校を卒業して、車の金型を作る工場で、事務職を2年ほどしてました。

ーー工業高校出身ということは、昔から機械や車いじりが好きだったんですか?

まめ六:全然そんなことなくて、すぐに就職したくて手に職をつけたいというところと、私の家から近いということで工業高校を選択しました。

ーー芸者になろうと思ったきっかけは?

まめ六:芸者さんっていうと、京都や東京のイメージで、地元にまさかいないだろうと思っていました。私は、小学校1年生から日本舞踊を習っていて。私が所属している芸者置屋(おきや)の九美姐さんと父親が知り合いで、長岡の芸者衆の舞台「あやめ座」に連れていってもらったのですが、その踊りを見て本当に感動したんですね。この仕事をしたい、この世界に入りたいなと思って、一週間も経たないうちに、九美姐さんが経営しているカフェに「芸者になりたいです」と伝えにいき、芸者の道に入りました。

ーーそもそも、日本舞踊にはネガティブなイメージはなかったのでしょうか。

まめ六:踊りを始めたのはおばあちゃんの影響なんですね。おばあちゃんの踊り姿が、普段と違ってとても綺麗に見えて、私も習いたいなと思ったんですね。私は覚えていませんが、祖母から聞いた話だとお稽古行った次の日に「いつからお稽古に連れていってくれるの」という電話がかかってきたそうです(笑)

今は本当に少ないんですけど、その当時は同世代の子たちも習っていたので、クラブ活動みたいで楽しかったんだと思います。小さいときはお稽古場に行ってもお稽古せずそのまま寝ちゃって帰ることもありましたけど(笑)。踊りはすごい好きで、高校に入ってからも就職してからも、ずっと辞めずに続けていましたね。

ーー踊りをしていて、どんなときが楽しいですか?

まめ六:舞台で家族や友人に踊りを見てもらった時に「良かったよ」と褒めてもらえると、やっててよかったと思いますね。最近、長岡のお散歩市の5周年で踊らせていただきましたが、知らない地域の方や面識もない方にも「すごい頑張ってるね。応援してるよ」と言ってもらえてうれしかったですね。

ーー伝統ある芸者の世界に入ると決意した時にプレッシャーはなかったですか?

まめ六:工業高校って女の子が少ないから、女性社会にも慣れていなかったので不安でした。実際に入ってみたら、芸には厳しいですけど、年齢も離れてるからか、みんな優しくしてくれます。

そもそも芸者とはどういう仕事?

ーー伊豆長岡における芸者の歴史について教えてください。

まめ六:長岡は芸者文化の歴史は古くて、大正から戦後にかけて置屋に所属する芸者の数は400人ほどいたそうです。その後、伊豆長岡芸妓学校が設立されました。

学校があったことから、中学を卒業してすぐ、その学校に入学して芸者になることは珍しくなかったみたいです。今の理事長も中学を卒業して、すぐにこの世界に入った最後の半玉さんです。

ーー半玉さんとはどういう意味でしょう?

まめ六:京都だと舞妓さんと呼びますが、関東では半玉さんと呼ぶんですよ。半分の玉と書いて半玉です。私たちがお客さんにいただくお金を玉代とも呼びますが、それが昔半分だったから半玉と言うみたいです。半分は半人前、一本立ちしてないという意味らしいです。

ーー芸者さんが普段どのようなことをされているかわからない方も多いと思うので、具体的にどんなことをするか教えてください。

まめ六:旅館さんに呼んでいただき、お食事や宴会の席で、踊りの披露、お酌、お座敷あそびをするのが主なお仕事になります。

ーーお座敷あそびとは、具体的にどのような遊びなのでしょうか。

まめ六:有名なお座敷あそびだと「金比羅船々(こんぴらふねふね)」ですね。香川県の金刀比羅宮(ことひらぐう)を題材にした民謡「金比羅船々」に合わせて、台の上に置かれた徳利の「はかま」を取り合うゲームです。

あと京都では有名な「虎々(とらとら)」という虎と老婆、和藤内(わとうない)のジェスチャーをしてっ体でじゃんけんをする遊びがあります。どれもシンプルなルールですが、酔っ払ってくるとわかんなくなって間違えてしまうんですよね。

ーー踊りは、伝統で継承されているものもあると思うんですけど、今の時代に合わせて更新されているのでしょうか?

まめ六:DA PUMPのU.S.Aが流行ったじゃないですか。その時は芸者衆がみんな日本髪をかぶって、着物もちゃんとした引き着を着て踊りました。あと、ボヘミアンラプソディが流行っていたときはQueenの「We Will Rock You」に合わせて踊ったりとか(笑)

ーーお客さんのニーズに合わせているんですね。本当にライブみたいな感じでいいですね。

まめ六:そうなんですよ。長岡は割と親しみやすい花街だなと思ってます

ーー踊りに行く場所は、旅館さんが多いのでしょうか?

まめ六:呼んでくださればどこでも行くので、いろいろな場所にお邪魔します。私はスナックで開催されるクリスマス会とか夏の会や、あと最近だと奈良とか四国の松山にも呼んでいただきました。

ーー遠方に行くこともあるんですね……!

まめ六:ありますよ。各花街の芸者衆を呼ぶフェスのようなイベントに呼んでもらいました。お姉さん方は中国に行ったこともあると聞きました。

ーー踊っている時は基本的にコミュニケーションはあるんですか?

まめ六:写真や動画の撮影もOKですし、手拍子をしてくださることもあります。そもそも、踊りの時間は2時間のうちの15分くらいなんです。イベントやお祝いのお席ですと踊りがメインですが、普段はお酌やお座敷あそびが中心ですね。あと、皆さん芸者と聞くと白塗りメイクをイメージされますが、普段は、普通のメイクをして着物に髪の毛も和装のアップなんですね。

ーー真っ白なメイクは本当に晴れ舞台のときなんですね。

まめ六:そうですね。お祝いの席やお正月などお祝いの席や、芸者さんを初めて呼ぶ方、お客さんに日本髪で来て欲しいと言われたとき以外は、普通のメイクをしています。

踊り、三味線、鳴り物、お座敷あそび……覚えることは多い

ーー芸者になる前と後で、感じたギャップがあれば教えてください。

まめ六:お客さんのところに行って踊るだけなイメージでしたが、明け方までお仕事して次の日の昼からお稽古することもあるので、ハードなときもありますね。昔は踊る人、三味線や鳴り物を演奏する人でそれぞれ別れていましたが、今は芸者衆の数も少なく、どれもできるようにしないといけないですね。

ーー覚えることが多いんですね……。

まめ六:そうなんですよ(笑)まず踊りも季節ごとに内容が変わるんです。だいたい毎月変わるので、覚える量も多いです。伊豆長岡には、三味線を引く96歳の大先輩の芸者さんがいましたが、今年の1月に亡くなられてしまったので、今先輩のお姉さま方がお三味線のお稽古を一生懸命されています。

ーー昔と比べると、芸者のお客さんも変わっていますか?

まめ六:変わっていると思います。昔は長岡は「東京の奥座敷」と呼ばれていたそうで、志村けんさんや石原軍団などの芸能人の方々や政治家、経団連の会長さんなど有名な方が多く来られていたそうです。

ーー海外の人も多いですか。

まめ六:コロナが流行する前は多かったですね。英語を勉強しようと思って英会話教室に通っていましたが、その時先生に言われたのが、日本の若者よりも海外の人の方が芸者衆をよく知っていると。「オー、ハラキリ、フジヤマ、ゲイシャッ!」という反応があるらしくて。

ーー「日本人は日本の文化を知らない。海外の人の方が日本のことを知っている」とよく聞きますよね。

まめ六:そうですね。Instagramで日本髪の写真をアップすると、海外の方にいいね!してもらうことが多いですね。海外の方でも、着物を着てアップしている方は多いので、着物の文化はいい文化だなと思ってます。

ーー「料金は応相談」「一見さんお断り」というイメージがありますが、実際の相場はいくらぐらいなのでしょう?

まめ六:一見さんは京都のイメージで、長岡は本当にそんなことはなくて。旅館によって値段は変わりますが、だいたい2時間1セットで2万円ぐらいですね。あとは、値段や料金がわからず頼みにくい方も多いと思うので、最近は3人で踊りだけのプランなど少し低価格帯のプランも作っていますね。

近いところに何でも揃っている。車がなくても快適に過ごせる場所

ーー伊豆長岡温泉の魅力は?

まめ六:伊豆長岡温泉は、旅館さん達も女将さんもお父さんも、暖かく家族のように迎えてくれるアットホームな温泉街だなって思いますね。あと料理がおいしいですね。特に、長岡温泉まんじゅうが好きで。このあたりは、温泉まんじゅう屋さんが多くて、イベントをするときには限定で各店舗の温泉饅頭が一個ずつ詰め合わせたものが売っていることがあります。

ーー温泉まんじゅうに、フルーツに、お魚に、食べ物には困らないですね。

まめ六:あと、このへんだと伊豆牛もありますよ。

ーーへぇー!お肉もあるんですね。よりどりみどりですね。住みごこちはいかがですか?

まめ六:わりと近い所になんでも揃っているので、車がなくても徒歩や自転車で生活できて困らないですね。

ーーいいですね。車を持ってないけど移住したいと考えている方に刺さりそうですね。

まめ六:気候も温暖で雪も降らないですし、住みやすいと思います。

ーー反対に、これから改善したほうがいい課題はありますか?

まめ六:昔は営業をしなくても芸者のお仕事ができましたが、今はそういう時代でもないじゃないですか。芸者衆を知ってもらう意味でも、認知度を上げるためにも、ギブアンドテイクじゃないけど、そういうところは改善できたらいいなと思ってます。

ーー芸者の活動を通して感じる伊豆長岡の可能性や街にこんな場所があるといいなといった部分についてお伺いできればと思います。

まめ六:SNS映えスポットですね。長岡って映えるとこがあまりないんですね。隣の修善寺は、たけのこ道に赤い橋があって映えるんですけど。長岡は富士山と温泉と芸者衆がいっぺんに味わえる場所なので、そういうところをもっと伝えられたらと思います。あと、伊豆長岡には見番がありますが、お客さんを入れられる2階のスペースが建物が古い関係で床が抜け落ちるかもしれないと言われていて、大人数入れられないんです。観光客の方が観に来られる場所があるといいですね。

先代から継承した芸者の文化を、後世に残したい

ーー伊豆長岡の芸者衆では最年少として、次世代へつなぐ役割を担われていると思いますが、どんな風にやってきたいとか、同世代をもっとが増やしたいなど、想いがあればお願いします。

まめ六:芸者のお仕事は、支度も大変で拘束時間も長いんですね。私は子供の頃からお稽古しているので慣れていますが、若い方が入ってきてもすぐ辞めてしまうことが多く、そこをどうつなげていくかが課題と感じています。

ーー思っていた以上に大変で辞めてしまうのでしょうか?

まめ六:そうですね。また、芸者は完全歩合制なので、お客さんに呼んでもらえないとお金が発生しないんですね。

例えば、清水市は商工会がバックアップして、3年間は基本給と家賃補助の手当を出すみたいな取り組みをされています。長岡でも、少し前に芸者衆を育成する「あやめ菖蒲育英会」を立ち上げて、ゆくゆくはそこから基本給を捻出できるといいと考えていますが、まだ現実的に実現には至っていないので、そこが今後の課題かなと思ってます。

ーー基本的に芸者の世界は歩合制なんですか?

まめ六:そうですね。お稽古代は見番が少し払ってくれますが、別稽古や着物代は実費負担なので、出ていくお金も多いです。なので、割と芸者だけで食べていけるのは、限られた地域だけなのかなと思います。

ーー今後の活動の目標について教えてください。

まめ六:長岡の芸者は伝統文化だと思うので、それを継承できるように頑張りたいなと思ってます。また、伊豆長岡の芸者をもっと多くの人に知ってもらおうと「オンラインお座敷」など新しい取り組みを始めています。せっかく地元にこんな素敵な文化があるなら、ここで生まれ育った私たちがつなげるべきなのかなと思っていて、私が死んだ後も、お姉さんたちがここまで継承してくれた芸者の文化が続いてほしいなと思って、今働いてますね。面白く知らない世界を体感できるので、ぜひ来ていただけたらと思います。